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【石垣島特集】石垣島の英雄!オヤケアカハチ
みなさんこんにちはー!
営業部の土性です^^
本日は「オヤケアカハチ」についてお話します!
オヤケアカハチとは、沖縄県の石垣島の大浜村を根拠地とした15世紀末の豪族の首領です。
オヤケアカハチの生誕地は波照間島で、幼少のころから武勇に優れ、力も強く、肝っ玉も据わっていたという話があります。妻は石垣村の長田大主の妹である古市で、オヤケアカハチは八重山の首領として島民の広範な支持を背景に、琉球王国への朝貢を2-3年断ち、さらには臣民(君主国において、君主に支配される者)である宮古島を攻めたため、1500年に琉球軍の軍船大小100艘、琉球兵3000人を送り込み、討ち取りました。これが『オヤケアカハチの乱』です。代々首領一族である空広(そらびー)が15世紀に入ってから琉球王国に従い朝貢国となり、さらには八重山にも同様の主従を求めてきました。それに対抗したのがオヤケアカハチ率いる八重山という構図です。
宮古・八重山に残る諸資料に共通して記されているのは、アカハチに全島民が同心し、厚い信頼を得ていたとあり、「オヤケアカハチの乱」では男性島民だけにとどまらず、女性島民も沿岸に立ち呪詛によって琉球軍の侵攻に対抗したと記録されています。
現在、大浜公民館近くには「オヤケアカハチ之像」があり、こちらの碑文には、「西暦1500年、当時の琉球王府への朝貢を拒否、反旗を翻した驚天動地のオヤケアカハチの乱の主人公・オヤケアカハチの銅像。-その人物は独立心が強く、体つきが人並外れた大男、抜群の力持ち、髪は赤茶けた荒々しく鋭い顔つきの若者―と伝えられている。正義感が強く、島の自由のために先頭に立って権力に立ち向かい、八重山の人々から太陽と崇められ信望を一身に集めていた。それ以来、今日まで英傑・オヤケアカハチの遺徳は石垣島の人々に『アカハチ精神』として受け継がれている。」のように記されています。
敗北したものの、琉球の侵攻から太平山を守ろうとしたオヤケアカハチは、先島諸島の英雄として現在に伝わっています。
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