-
【石垣島特集】石垣島の戦争の歴史がわかる「電信屋」!
みなさんこんにちはー!営業部の土性です★本日は石垣島の観光スポット「電信屋(でんしんや)」についてお話ししたいと思います!
俗にデンシンヤー(電信屋)と呼ばれているこの元海底電線陸揚室は、1897(明治30)年に建てられたもので、沖縄本島や日本本土、台湾間の通信に利用された海底線の中継地として約半世紀にわたり、その役割を果たしてきた所です。1895(明治28)年の日清戦争終結後、日本はその領有するところとなった台湾との間に軍用海底線を敷設する必要が生じたことから、1896(明治29)年、まず鹿児島と沖縄本島との間に、ついで翌97(明治30)年、石垣島を経て台湾との間に海底線を敷きました。これによって本土ー沖縄本島ー石垣島ー台湾間の通信施設が完成しました。
なおこの年、石垣・西表間にも海底線が敷設されました。開通したこの海底電信線は、当初陸軍省が管理していましたが、のち逓信省に移管され、一般公衆用通信にも使用されました。明治30年のことです。この年、石垣島では大川2番地に八重山通信所が設置され、一般公衆電報取扱いが開始されています。
なお、太平洋戦争の際には連合軍の攻撃目標となりました。無数の弾痕がこれを示しています。この地域で無断に現状を変更することは市条例によって禁止されています。
引用:「電信屋跡の元海底電線陸揚室の碑文」
電信屋があるところには、きれいなビーチもあります!
人が少なく穴場のビーチですが、北風が強い地域で波も早いので、「遊泳危険」の看板が近くに立っています。また、水産動物が産卵し、稚魚が生育し、又は水産動植物の種苗が発生するのに適している水面で、その保護培養のために必要な措置を講ずべき水面として「保護水面」にも指定されていて、「すべての動植物を取ってはいけない」とされています。その為、釣りなども禁止です!
また、時期によってはハブクラゲやカツオノエボシが発生するので、足を付けてパチャパチャするときは気を付けてください。刺されると大変です。。。カツオノエボシに2回刺されるとアナフィラキシーショックで最悪、死に至る場合もございます!私は一度カツオノエボシに刺されてるので、次は死ぬかもしれません。(笑)
石垣島に来たら、是非一度「電信屋」に足を運んでみてください♪道中は道がかなりボコボコなので気を付けてくださいね!(笑)
ほかの石垣島特集はこちら♪
インスタグラムも更新しております!
チェックよろしくお願いします♪
↓↓↓↓↓